日本遺産
古代日本の「西の都」

日本の西、筑紫の地に栄えた「西の都」。
そこは東アジアとの交流拠点

キッズページ-「西の都」学校院-もくじ

知る
「西の都」 ってなぁに?

およそ1300年前、奈良の都から遠く離れた九州には、九州をおさめ、外国との交流や、国境を守る役目をもった「大宰府」という役所がおかれました。大宰府は、水城、大野城、基肄(きい)城などのお城でまわりをかこみ、その内側に中国の唐の都を手本にして、きれいに区画されたまちがつくられました。まちには、役所だけではなく、役人を育てる学校、外国の使節をむかえる館、大きな寺、人びとでにぎわう市場などがあり、まさに、古代日本の「西の都」でした。

「西の都」はこんなところだった!

「西の都」には、文化や学問に優れた人びとも集まり、和歌をよんだり、宮廷と同じ行事が行われたりしました。また、外国から伝わった舞に使うお面や、優れた技術でつくられた仏像のほか、東アジアの国々から貴重な品々も集まってきました。今も、太宰府周辺には、東アジアとの交流でにぎわった「西の都」大宰府にかかわる文化財がたくさん残っています。

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