西の都 装飾
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だざいふじょうぼうあと

所在地 筑紫野市・太宰府市
指定等の状況 市史跡・未指定
エンブレム

古代、東アジアの都で採用された碁盤目の地割をもつ都市の跡です。飛鳥時代に造営され、奈良時代には政庁・朱雀大路を備えました。その姿は唐の長安城をモデルとした平城京と似ており、設計・造営には平城京造営責任者があたっています。今も街の処々に条坊の痕跡をとどめた地割が残されています。

「西の都」大宰府は、唐・長安城を範とした碁盤目の街割りが約2km四方に広がっていました。街の中央北端に大宰府政庁が位置し、その南には官庁街への入り口となる朱雀門がありました。朱雀門から南には大宰府条坊のメインストリートである幅36mの朱雀大路がのび、官人や外国使節、商人らが行き交いました。朱雀大路の南の端には羅城門があったと推定されています。 碁盤目の一区画は約90m四方の広さで、南北に22区画あり、東西は朱雀大路の東に12区画、西に8区画ありました。

太宰府市キャラクター/
旅人のたびと・おとものタビット・
れいわ姫

古代大宰府についていくつかある謎の中で、もっとも注目されるも、もっとも解明が難しかったのが、この条坊です。長年の調査研究によって、ようやく具体的な街の姿が見えてきて、それが当時の都のような場所だったことがわかってきたため、この日本遺産ストーリーに「西の都」と名付けました。
それでも、まだまだ謎の多い「西の都」です。。

筑紫野市キャラクター/
つくしちゃん

太宰府市や筑紫野市内を歩いていると、東西や南北の方向に作られた一直線の道があります。これは大宰府条坊の碁盤目のまちなみの名残です。大きな通りや小さな路地など、今も普段の生活で使われています。歴史の積み重ねでまちの姿は変わっていきますが、その一部に今も古代のまちを感じることができます。

客館跡:
〒818-0103 福岡県太宰府市朱雀3丁目13

西鉄二日市駅から徒歩約2分

古代日本の「西の都」 イメージ画像

1300年前、筑紫の地に誕生した「西の都」。東アジアに華開いた壮大な国際交流都市のストーリーは、福岡県筑紫野市・春日市・大野城市・太宰府市・那珂川市・宇美町、佐賀県基山町に広がっています。