西の都 装飾
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はんにゃじあと

所在地 太宰府市
指定等の状況 市史跡・国重文(建造物)
エンブレム

孝徳天皇の病気平癒を願って、筑紫大宰帥・蘇我日向が建てたとされる古代寺院です。奈良時代に条坊内に移建されたとされます。当時条坊内の寺院は観世音寺と般若寺と、天皇ゆかりの寺院のみでした。塔基壇や塔心礎が見つかっており、鎌倉時代に造立された石製の七重塔(国重要文化財)が残っています。

大宰府政庁から南に約1kmにある般若寺跡。標高50mほどの丘陵に「般若寺」の地名が残っており、これまでの発掘調査で、塔の基壇や礎石、建物、区画の溝などが見つかっています。塔の基壇は1辺11.9mの規模で、壇の縁に瓦を積み上げていました。出土した瓦は、鴻臚館式や老司式など8世紀代に大宰府の役所で使われたものと同じものです。寺域の東側には、13世紀になって七重の石塔(高さ3.35m)が建てられます。 今は住宅街の中に塔跡や七重石塔が残るのみですが、かつて高台に建立された荘厳な寺は、先進的な文化を発信する「西の都」の象徴的な存在の1つでした。

太宰府市キャラクター/
旅人のたびと・おとものタビット・
れいわ姫

西鉄二日市駅東口から客館跡へ向かう右手の丘の上が、かつての般若寺の境内です。
丘の上は住宅街となっており、寺の面影を伝えるものは少ないですが、ここから垣間見える風景から、かつては大宰府の街を一望できたことを知ることができ、重要な場所だったことがうかがえます。

〒818-0103 福岡県太宰府市朱雀2丁目18-1

西鉄二日市駅から徒歩約5分

古代日本の「西の都」 イメージ画像

1300年前、筑紫の地に誕生した「西の都」。東アジアに華開いた壮大な国際交流都市のストーリーは、福岡県筑紫野市・春日市・大野城市・太宰府市・那珂川市・宇美町、佐賀県基山町に広がっています。