西の都 装飾
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だざいふてんまんぐう

所在地 太宰府市
指定等の状況 国宝(書跡)・国重文(建造物)
エンブレム

大宰権帥として太宰府で亡くなった菅原道真の廟をはじめとします。天満宮安楽寺とも言われました。平安時代には大陸由来の曲水の宴などの行事が行われはじめ、現代に伝わるものもあります。文人としても崇敬され貴族や武士が参詣しました。文芸の聖地となり、連歌などが奉納され続けています。また、唐代の書籍である翰苑の平安時代の写しが残っています。鎌倉時代には高麗国使高柔(コユ)が参詣して詩を奉納しています。本殿が国重要文化財に指定されており、境内は伝統行事と相まって古代の雰囲気が感じられます。

文芸や学問に秀でた菅原道真は、醍醐天皇の時代に右大臣にまで昇進しましたが、左大臣であった藤原時平の政略により、大宰府へと左遷され、903年に失意のままに亡くなりました。道真の亡骸を埋葬しようと牛車にのせて運んでいたところ、突然牛が動かなくなり、人々は道真の遺志と考え、その地を墓所とした、と伝わります。905年に墓所の上に廟が建てられ、菩提を弔うため安楽寺が創建されました。919年には醍醐天皇の命により社殿が整えられ、現在の太宰府天満宮へと至ります。現在の本殿は、豊臣秀吉の命をうけた小早川隆景が1591年に再建したもので、楼門をくぐった正面に豪壮な姿を構えています。  生前に稀代の文人・学者として活躍した道真への追慕・崇敬の想いは、後世の人々に受け継がれ、今もなお文芸・学問の聖地として篤い信仰を集めています。

太宰府市キャラクター/
旅人のたびと・おとものタビット・
れいわ姫

全国に知られる、太宰府観光の中心です。
おすすめはいろいろありますが、最近の注目は、境内各所の現代アート。世界で活躍するアーティストたちが作品を展示しています。太宰府の歴史を踏まえたもの、深い精神性をもつものなど、考えさせられる作品ばかりです。
長い歴史の中で、古いものと新しいものを受け入れ、太宰府の文化発信を担ってきた太宰府天満宮ならではの試みです。

〒818-0117 福岡県太宰府市宰府4丁目7-1

西鉄太宰府駅から徒歩約5分

古代日本の「西の都」 イメージ画像

1300年前、筑紫の地に誕生した「西の都」。東アジアに華開いた壮大な国際交流都市のストーリーは、福岡県筑紫野市・春日市・大野城市・太宰府市・那珂川市・宇美町、佐賀県基山町に広がっています。