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大宰帥・大伴旅人は、「梅花の宴」を催すなど、「西の都」に華やかな万葉文化を開花させました。また、時には、自らの切ない気持ちを歌に詠むひとりの歌人でした。「西の都」を万葉歌で巡れば、旅人の心の原風景に出会うことができます。

この空間に大伴旅人の歌の舞台が広がっている(大宰府跡から南を望む)。

  • 万葉の時代から続く湯は、今も訪れる人々の交流の場となっている。

  • 基肄城跡に立つと、旅人の眼差しに想いを重ねることができる。

  • 二日市温泉に建つ大伴旅人の歌碑。

歌人・大伴旅人は、時には情緒あふれる言葉で、自らの心を歌に綴りました。
大宰帥として赴任して間もない、730 年前後、長年連れ添った最愛の妻・郎女を亡くします。悲しみにくれる旅人は、朱雀大路の南の先、次田温泉(二日市温泉)に宿り、湧き出る湯に心身を癒しながら、「湯の原に 鳴く蘆鶴は我がごとく 妹に恋ふれや 時わかず鳴く」と、鳴く鶴に妻を想う自らを重ねて哀悼の歌を詠んだのでした。また、彼を慰めるべく都から訪れた石上堅魚らと「城山道」を歩んで基肄城へ登り、眼下に広がる平野を眺めながら、心情を込めて彼らに返歌しました。
旅人は、自らの心を綴る歌詠みの大切な場として、しばしば都の境界に赴きました。そして、彼が大納言として帰京するとき、大宰府の東方、阿志岐山城を望む蘆城駅家での餞別の宴では、月夜の川の音に耳を傾け、爽やかな送別の歌を詠みました。
旅人は、平城京へと続く道(官道)を歩みながら、「西の都」最後の地・水城の東門に着いたとき、深い交流のあった女性・児島との別れを惜しみ、涙を拭いつつ、もう会うことのできない心の内を歌に込めました。旅人の帰京後、梅花の宴に赴いた、筑後守の葛井大成は彼に会うために通った峠越の道(官道)を歩く寂しさを歌に詠みました。歌は、いつまでも「西の都」と旅人をつなぎ続けたのです。